美容&サロン経営のスペシャリスのスペシャリストに聞きました

美容室「Ata.」オーナー
美容師
安藤 敬さん

あんどう たかし▶1981年秋田県生まれ。高校卒業後上京し東京マックス美容専門学校へ進学、国家資格取得。卒業後は大手美容室の銀座店勤務を経てAVEDAコンセプト美容サロンの中目黒店、自由が丘店と東京ガーデンテラス店では店長として勤務。2021年独立し東京広尾に美容室「Ata.」オープン。人気店として営業中。

クリエイティブや技術だけでなく「元気」や「リラックス」も次回来店の動機付けに

2度の転機が訪れて東京の美容専門学校へ進学

 中学校の校則が変わり、3年生から髪を伸ばしたのが最初の転機です。美容室に通い、カッコいい美容師やおしゃれな服装にあこがれて、「将来は美容師になろう!」と決めました。高校卒業後の専門学校は、地元秋田、近県の仙台、東京の三択で検討し、修学旅行で行った「おしゃれでキラキラした都会の街」が忘れられず、上京を決心した2度目の転機で進路が拓けました。進学先の東京マックス美容専門学校は、都心にあって施設が綺麗だったのが決め手で入学。初めての一人暮らしでも毎日の授業は真面目に通い、実習も積極的に行う学生でした。東北出身者は我慢強い気質があり、それが当たり前だと思います。同じ志を持つ友だちが増えたことも、嬉しい2年間でした。

若さゆえの悔しさと焦りで自己を見失い“小休止”

 卒業後は、大手美容室の銀座店に就職し、銀座4店舗の中でも大型の高級店に配属されました。接客や言葉遣いなどが特に厳しく、入社時に7名いた同期も1年で半分に。技術の高い先輩の仕事を間近で見ながら「早くお客様の髪を切りたい!」と気が焦るものの、スタイリストデビューまでは2年半を要しました。当時を振り返ると、経験や技術が追い付かず、自在に扱えない自分に納得できない毎日だったと思います。悔しさが募って目標を見失い、4年で退職の道を選んでしまいました。

自分探しの末に見つけた「美容師として働ける喜び」

 無職中、友だちと飲みに行っても次第に楽しくなくなり、自分探しに海外へ旅するなど模索の日々から見出したのは、「美容師の仕事が好きでまた働きたい」という強い思いでした。今度は失敗しないよう、環境の良いサロンを探して就活の結果、当時自分が客として通っていた美容室に入社。半年間の自分探しが終わりました。

イチから技術を学び直して26歳でスタイリスト再デビュー

 再就職は、仕事が出来るありがたみを感じながらの毎日でした。今ここで頑張れるのは、「半年休んだ意味があるから」と。経験者でも当時のしきたりで再びアシスタントとなり、イチから学べた環境は、自分にとってプラスだったと思います。スタイリストに昇格すると、もう技術を教えてもらえません。再デビューは3年後の26歳でした。

ジャンプアップで新店に参加
店長として10年勤務した次の目標

 再デビューから程なく、自由が丘に新店オープンが決まり異動。新たな気持ちで技術を磨き、接客スキルも上がって心に余裕が持て、お客様もたくさん来ていただきました。5年で店長になり、その後赤坂の新店には、店長として異動することになりました。外資系保険会社など大企業勤務の方や地元在住のセレブ層にも多数来店いただき、順調に軌道に乗りました。しかし自分が長く現場にいると若手が活躍しにくい現状を鑑み、コロナ禍の長期休業中に「次の目標として自分の店を持ちたい」と決心。1年後に退職するとオーナーに伝えました。

内覧10分で決めた自分の城
未来を信じて今を楽しむ

 お客様が通いやすい都会の真ん中でも、緑の多い広尾に店を持ちました。名前の「Ata.」はサンスクリット語で“ここから始まる”“今を楽しむ”という意味があります。オープンから3年経ち、お客様やスタッフにも恵まれ、休日も取れて有難い職場環境になりました。この先の事は不安よりも明るい未来を信じて、今に集中しています。

美容師をめざす高校生へのメッセージ

美容技術×対人接客で 人の役に立つ努力を
美容が好きでこの仕事をめざすなら、まずは技術をしっかり身に付けて上手になってほしいです。その上で対人(お客様、スタッフ)へ思いが届くよう、心が感じられる人になってもらえると。美容師は「人ありき」の職業ですので、人の役に立ちたいという思いを大切にしてください。

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