ゲーム業界のスペシャリストに聞きました

株式会社コナミデジタルエンタテインメント
シニアプロデューサー
岡村 憲明さん

おかむら のりあき▶京都府出身。京都府立大学卒業。1990年にプログラマーとしてKONAMIに入社し、家庭用ゲーム等の制作に参加。以降、『METAL GEAR SOLID Δ:SNAKE EATER』、『スーパーボンバーマンR』、『桃太郎電鉄』シリーズ他、数多くのヒット作を手がける。

他の作り手さんのこだわりを理解してあげられるか、
ゲームを作り続けてきたからこそ分かるようになりました

作るゲームの価値、面白さを
届けるべき人に届けるまでが仕事です

 ゲームプロデューサーは、ゲームの企画を考え、予算を決めて、制作チームを揃えてゲームを作りきる体制を用意し、完成させて、宣伝計画も立てて、お客様に届けるというところまでを対応する総責任者です。お客様がお金を払ってでもそのゲームを買いたいと思ってくれないことには、届けたいものが届かない。そういった意味で、作るゲームの価値、面白さを届けるべき人にきちんと届けるところまでが仕事になります。実作業はそれぞれ専門の人たちが行って、僕の仕事はそれを滞りなく進むように指揮することです。
 一日の業務は、ほとんど会議に出ています。抱えているタイトルはそれぞれの進行段階で日々何かが起きるので、調整が必要なことを会議で確認して、そのつど手を打ちます。

京都の電気街で、ゲーム作りに目覚めて

 ゲーム機どころかパソコンも普通の家で買えるような値段じゃなかった時代、僕はまだ小学生でしたが、その頃の京都には「寺町電気街」という東京の秋葉原みたいなところがあって、そこにある電気屋さんに、当時大人気のインベーダーゲームっぽいゲームが無料で遊べるという理由で通っていました。そこで僕は、ゲームは自分で作れることを知りました。そのお店には京都中のパソコン少年たちが集まっていて、みんなお店のパソコンでゲームを作っていたんです。僕も彼らからプログラムのやり方を教わって、ゲームを作り始めました。そんな日々が大学時代まで続き、ゲーム作りが天職だと確信してKONAMIに入りました。

誰もがゲーム作りに一生懸命だからこそ

 僕はゲームという、もの作りをずっとしてきました。会社には、僕以外にもゲーム作りに関わるいろんな人がいて、それぞれのこだわりなどからぶつかることもありますが、誰もがゲームに対して一生懸命です。だからこそ共感し、一緒に仕事ができるんだと思います。
 たとえば僕はゲームのシナリオを書いた経験がありますが、自分以外の人がシナリオを書いた場合、他の人は気にならなくても、僕はすごく気になるんですよ。同様に、シナリオを書いたことがある人は僕と似たこだわりを抱えていたりするんです。そういった、作り手ならではの大事にしたいところに気付けるか、理解してあげられるかという点は、実際にもの作りで辛い目を見てきたからこそ分かるようになれたと思います。
 外部のクリエーターの人たちと仕事をする時、その人たちの抱えるこだわりや辛さに共感を示せるということは、僕がこれまでずっとゲームを作ってきた結果であり、自分の中でとても大切な経験だと感じます。

ゲームクリエイターをめざす高校生へのメッセージ

ゲームからはみ出たエンタテインメントこそ大事
ゲーム以外のことにも興味を持ってください。ゲームだけやっていた人よりも、いろんなことをやっていた人から出るアイデアの方が面白いからです。新しいものを作りだすには、ゲームの枠からはみ出たエンタテインメントを知っていることが大事なんです。ドラマ、映画、旅、アイドル。全てはゲームにつながります。興味あるエンタテインメントにこだわって色々楽しんで、その中からあなたの武器になるものを見つけてください。