フードコーディネーターのスペシャリストに聞きました

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はら ゆうこ▶埼玉県比企郡吉見町生まれ。松山女子高等学校から目白学園女子短期大学(現・目白大学短期大学部)へ進学。卒業後、埼玉県の教育関係の事務所で2年間働きながら公務員試験に合格し、公務員として8年間働く。フードコーディネーターの資格を取得するため赤堀料理学園フードコーディネータースクールに通い、そのまま赤堀博美校長のアシスタントとして活動。フリーランスを経て、株式会社Vitaを設立。TVや雑誌、カタログ撮影など幅広く活躍中。

臨機応変に対応できる能力が求められる
さまざまな角度から物事を捉えるお仕事

やりたこいことはやらないと勿体ない
フードコーディネーターの道へ

 高校生の時に漠然とですが料理の仕事がしたいと思っていました。高校卒業後は短大に進学し、公務員として8年間働きました。30歳を目前にし、料理の仕事がしたいという気持ちを忘れられませんでした。とはいいましても30歳直前で調理場に行く勇気はもてませんでした。この先、調理師学校に行くのか、学校に行かずにレストランの門を叩くのかと悩んでいた時に、友人に調理の仕事はたくさんあるよね、と言われ必ずしも調理場だけが料理の仕事じゃないんだなと思いました。その後、フードコーディネーターという仕事をみつけ、公務員を続けながらスクールに通うことにしました。スクールに通うにあたりいくつかスクールを見学し、赤堀料理学園フードコーディネータースクールが自分にぴったりだなと思い入学しました。そこで自分の恩師となる赤堀博美校長と出会いました。赤堀校長は卒業しても必ずしもフードコーディネーターになれるわけではない、華やかなイメージを持っている人もいるかもしれないが、裏方の仕事が多く厳しい側面も教えてくれました。スクールに通い、すぐに面白いと感じたことがありました。自分が知っている料理の角度ではない、必ずしも食べる目的のものを作るわけではない、直結して誰かの口に必ずしも入るものではないものを作っているのですが、すごく頑張れば影響力のある仕事ができるんだなと感じました。フードコーディネーターの資格を取得し、公務員を辞め、そのまま赤堀先生のアシスタントになりました。

アシスタントから
フリーランスになるまで

 本当になにも覚えてないくらい忙しい日々で先生のサポートをしていました。アシスタントの立場ですが、自分で考え、提案ることも求められたので、色んな経験を積むことができました。一年間とにかく必死で2,3年があっという間に過ぎていきました。
 フリーランスになり、初めていただいた仕事がドラマの仕事でした。ドラマのクレジットに「フードコーディネーター はらゆうこ」と載っていたのをみたとき、私はフードコーディネーターでいいんだなと思いました。私に依頼が来て自分の名前が載ることはフードコーディネーターとして認められた気がして嬉しかったですね。

現場で出会った俳優さんから
いただいた一言

 現場でよく一緒になる俳優さんに「今後どうしていきたいの?」と聞かれ「細々と仕事を続けていきたいです」と答えたら「日本一になれや!」と志を高く持ちなさいと言われました。フリーランスになり仕事が全くない時期があり、アルバイトをしていたこともありました。スクール時代にフードコーディネーターは「道なき道ではある」「自分で切り拓く楽しさがある」と言われた当時はピンとこなかったのですが、今思うとけっこう刺さる言葉でした。駆け出しの頃は金銭的にも体力的にも厳しい現実があり、このような経験から一人でも多くのフードコーディネーターへ働きやすい環境を会社として提供することが目標のひとつです。

現場ごとに求められるものが違う面白さ

 広告やカタログの撮影は綺麗にみせるための盛り付けや使用する食器など演出が必要になるのですが、ドラマや映画になると違うのです。ドラマの撮影をした際に、女優さんから「あなたは台本を理解しているの?」と言われたことがありました。私の作ったものがドラマの中の人物がつくるものではないと指摘をされました。台本を読み、人物の背景、どのようなシチュエーションで出される料理なのかを考える考察力も必要となるのでとても面白い仕事だなと再認識することができました。

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フードコーディネーターをめざす高校生へのメッセージ

毎日の生活が糧になる
やりたいとういう気持ちを大切に

フードに関する知識も必要ですが、コミュニケーション能力も求められる仕事です。自身の個性をアピールしプロデュースすることも必要となります。高校生の皆さんは色んなもの吸収する時期だと思うので、日々の生活や食生活を大切にしてください。「やりたい」という気持ちを忘れず大事にしていけばきっとなりたい自分に近づけると思いますよ。

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