ギターリペア&マネジメントのスペシャリストに聞きました

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島村楽器株式会社
浅草橋ギター&リペア店
マネージャー/ギターリペア
阿部 忍さん

あべ しのぶ▶1978年山形生まれ東京育ち。東京農業大学で造園・都市計画を学び卒業後ESPギタークラフト・アカデミー入学。ギター製作アシスタントを経て2003年島村楽器(株)入社。同社の楽器リペア部門の立ち上げに参画し、「ギター&リペア店」工房組織の構築に尽力。現在はマネージャーとして人事採用・社員育成に活躍中。

「モノを売る前にコトを売れ」
楽器店から“音楽のトータルサポート”企業へ

大学の音楽仲間が居場所
就職氷河期の打開策でギター専門校へ

 音楽を聴くのが好きな高校生でしたが、月並みなリスナーでした。大学はマンドリン部でクラシックオーケストラの一員として活動し、仲間の持っていたエレキギターにも触れ、大学生活の居場所が音楽だったと記憶しています。就職氷河期は大半の学生が就活に苦戦していた中、ゼミ教授の紹介でアルバイトをしていた企業への就職を辞退して振り出しに戻りました。将来を案じていた時にESPギタークラフト・アカデミー(GCA)の入学案内を見て「せっかくならば音楽に携わる仕事がしたい」と決心し、そのきっかけ作りで1年間通うことに。 GCAは大学生活までとは異なり、10歳20歳年上の人や脱サラなどさまざまな背景の人も学びに来ていたので、同級生との交流が特に印象に残っています。当時は個性的な先生も多く、学校全体がロックな感じの場所でした。

海外製と日本製ギターの違いを手に取り体に叩き込む4年間

 GCAを卒業して、2003年に島村楽器に入社しました。当時は自社ブランドの楽器を国内外で量産体制に入っていて、楽器のメンテナンス 人材を育てていく方針が企てられていました。私はその1期生に当たります。中国やイン ドネシアで製造されたギターに不安定な製品が散見されたため、提携工場で全数検品を行って合格した製品を出荷する体制になり、1週目は中国、2週目は東京代官山の工房、3週目はインドネシア、4週目は東京の工房に戻って1ケ月が経過するという日々を2年近く経験しました。その後は国内生産を請け負っていた長野県の提携工場で2年間、島村楽器の社員のまま修業の機会に恵まれました。ギタークラフトの工場ラインに入って全工程を回り、同じギターを作っているのに、海外と日本では何が違うのか?を体感する貴重な経験となりました。

「ギターリペアは無料サービス」からビジネスとして拠点づくりと人材育成に着手

 当社では長い間「楽器リペアはサービス」という考えから、お客様に修理料金を頂戴する仕組みがありませんでした。代官山の修理拠点にも技術者が増えて手狭になったこともあり、新たに修理工房を立ち上げて、ギターリペアをビジネスとして事業展開することを会社に提案しました。工房の物件探しから移転の手配など、リペア職人からプレイングマネージャーへ役割が変わり、その後は2015年に当社初・西の拠点として名古屋に修理工房を立ち上げました。現在の浅草橋の工房は2020年夏に拡張のために移転、コロナ禍で撤退する企業の多い中でも職人を採用して順調にリペア事業を拡げていきました。

音楽のトータルサポートで日本の「コト消費」をリードする

 10名足らずでスタートしたギターリペア工房も、現在は全国11拠点、管楽器や弦楽器も含めると約150名のリペア職人が活躍しています。当社は楽器を売るだけでなく、音楽教室やライブコンテスト、リペア事業など音楽をトータルでサポートする企業へと進化しています。「楽器を購入しても続かない」という人は多く、楽器を楽しむ人を一人でも増やしたい、そのための施策を展開しています。初代社長は十数年前から「モノを売る前にコトを売れ」と常に発言していました。今日の国を挙げた「コト消費」推進に先んじて、全社で取り組んでいるのです。
 今はマネジメント業務が増え、部下の方がギターリペアの腕が上がっていると思います。 20代に採用した社員が30過ぎて結婚するなど、部下の人生の成長を見守るのも嬉しい立場になりました。島村楽器は「挑戦をさせてくれる会社」です。身近に音楽がある毎日は、とても充実しています。

ギター技術に興味を持つ高校生へのメッセージ

専門校で技術を学び素直な心で仕事に取り組む
ギター製造・リペア技術を学べる専門校は決して多くないので、興味のある人は学校にも注目してもらいたいです。職人は「素直であること」が最も求められます。新たな知識や技術を吸収し、考え方をアップデートできる柔軟さがあれば、先輩からも可愛がられます。信念だけで成功できる人は一握りだと思います。

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