まつい かおる▶神奈川県出身。国士舘大学体育学部を卒業し、リビエラスポーツクラブに就職。のちに独立し、パーソナルトレーニング専門のフィットネスジムを設立。2014年には日本医学柔整鍼灸専門学校を卒業し、柔道整復師の国家資格を取得。現在はトレーニングジム兼整骨院「乃木坂 Matsui Physical DesignLab.」主宰。トレーナー活動のかたわら、国士舘大学での非常勤講師や全国での講演活動なども精力的に行う。任天堂の人気フィットネスゲーム「Wii Fitシリーズ」「リングフィットアドベンチャー」では、ゲーム中の各種トレーニングを監修。
当時はパーソナルトレーナーという仕事につくどころか、概念自体ありませんでした。
スポーツ選手をめざす人が、どうしたら自分と同じ思いをしないですむだろう?
―パーソナルトレーナーという仕事に就かれた経緯をお話しください。
子どもの頃は野球に打ちこんでいました。プロになりたくて一生懸命だったんですが、12歳の時に腰を痛め、泣く泣く夢を断念しました。やがて「スポーツ選手をめざす人が、どうしたら自分と同じ思いをしないですむだろう?」と考えるようになり、体育教師になって体づくりを指導する側に回ろうと、大学で教員免許を取りました。
ですが教育実習を続けるうち、例えばスポーツの苦手な子がクラスに一人いたとして、その子一人に向き合い指導してあげることが、教師という仕事では難しいと感じるようになりました。そんな頃、世界的アーティストのマドンナが特別なトレーナーをつけてトレーニングをし、体をバキバキの筋肉質に作り替えたというニュースが話題になり、そこで「パーソナルトレーナー」のことを知ったんです。
―それは、いわゆるスポーツトレーナーとは違っていたわけですね。
それまでの日本のスポーツトレーナーは、試合に勝つため、競技力向上のためのトレーニングがメインで、指導も多人数が基本でした。ですがパーソナルトレーナーは、芸能人やモデルを相手にビジュアル性の高い体づくりを重視して、何よりマンツーマンでのトレーニングでした。これなら一人ひとりに体づくりの指導ができる!と思いました。
ただ当時(1980年代半ば)の日本には、パーソナルトレーナーという仕事につく手段どころか、その概念自体がほぼありませんでした。仕方なく卒業後は当時南青山にあったスポーツジムに勤めていたのですが、そこで働いていたアメリカ人の方が、まさにパーソナルトレーナーだったんです。その人に「自分もやってみたい」と話したら、ジムの社長が理解ある方で、ロサンゼルスのスポーツクラブでパーソナルトレーナーとしての研修を積ませていただき、帰国してからも少しずつ経験を重ねていきました。
マイナスからプラスへと変わっていくお客さんの姿を見るのが嬉しいです
―パーソナルトレーナーとして成功された後、柔道整復師の資格を取られた理由は?
30年くらいこの仕事を続けて、その間、ありがたいことに固定のお客さんも多くついてくださったんですが、その方たちも50代、60代と少しずつ年を重ね、体の不調に悩まれるようになりました。これはしっかり医療知識を身につけないといけないなと思い、昼はトレーナーの仕事をしつつ、専門学校の夜間課程で勉強しながら資格を取りました。医学的なバックボーンを身につけたおかげで、ケガや痛みに苦しむ人たちに、これまで以上に寄り添えるトレーニングやアドバイスができるようになりました。
私のところに来られたある女性のお客さんは、当初は腰の痛みに苦しまれていて、階段の昇り降りにもすごく苦労されていました。それからトレーニングを始めて今年で15、6年くらいになるのですが、その人は現在、娘さん夫婦とカナダでロッククライミングをするくらい元気になっています(笑)。そんな風に、最初は沈んでいた表情の人がトレーニングによってどんどん笑顔を取り戻していく、マイナスからプラスへと変わっていく。そんなお客さんの姿を目の当たりにするたび、頑張ってよかったなと思います。
バーチャルでお客さんに触れられるオンライントレーニングもやってみたい
―今後、挑戦してみたいことはありますか?
コロナ禍の影響で、オンラインでトレーニングを受けたいというニーズが高くなっていますが、お客さんの筋肉の微妙な状態とか、痛みのあるなしとかは、実際に相手の体に触れてみないとわからないんです。現在はある大学で、触覚を感じとれるVR(バーチャルリアリティ)システムを開発中とのことなので、そういった技術を導入できるなら、いつかオンラインのパーソナルトレーニングもやってみたいと思っています。